「生きる意欲を保つには、どう生きればいいですか?」
社会の不条理や世の理不尽はまだまだなくなりません。誰しもその壁に当たり、生きる意欲を削がれ、自分を見失い、ちっぽけな存在に思えてしまうかもしれません。そんな時、何を頼りに生きていけばよいのでしょう?ここで考えてみましょう。このような悩みは、人間なら誰もが持つものです。そうであるなら、先人がその時に何を求め、どうなったかを知れば、悩み解消のヒントになるに違いありません。
先人はまず、社会的価値観のなかで最高のものを得ようとしました。立身出世です。それにより、世間から理不尽な仕打ちを受けることはなくなります。でも、多くは、そこで気付きました。だからといって、生きる意欲が湧くわけではない、と。特に、社会的ストレスの強い現代では、立身出世に心血を注ぐことが、逆に生命を消耗させるかもしれません。
次に、彼らは自分探しの旅に出て、社会を超えた自己実現を求めました。ただ、そこでも壁にぶつかります。自分の独り善がりな欲を満たしても、真の喜びにはならない、と。
そこで初めて、自分を客観的に捉え、「人間が求めるべきものは何か?そこに生きる意欲の源泉があるに違いない」という人間普遍の視点に移ります。ここで、“人生の目的”との接点が生まれるわけですが、“生きる意欲”とは少しニュアンスが異なります。
“人生の目的”は自分の本性を満たすもので、その要件を示しています。一方、“生きる意欲”は感情的なもので、それによって直に生命力が湧き出るようなものです。人の役に立ててうれしいとか、よりよく生きている実感があって充実しているといったものです。
これらの真の意味を知るには、私達がこの世に“生”を受けることの奇跡的事実や、“生”に宿命づけられた儚い運命について知る必要があります。それを全身で感じられるようになれば、人助けや善行に対して、人間がどんな思いを託しているかを知った時に、“自我”を超えた、より大きな生命の繋がりを実感できるようになります。これは、「ちっぽけな自分」と錯覚させる社会的価値観を超えた、ぶれない自尊感情を獲得するために重要な視点であり、先人は繰り返し、人為的社会への依存や、盲目的な文明発展に警鐘を鳴らしました。本カリキュラムでは、先人が人生の最重要とまで位置付けた“心の豊かさ”について様々な視点でお伝えします。
※本カリキュラムでは理系文系を問わず、分かり易く説明しています(中学生~)
2025年06月06日 14:20